研究者業績
基本情報
- 所属
- 愛知大学 文学部 日本語日本文学科 教授
- 学位
- 文学修士(1990年3月 東北大学)博士(文学)(2018年 東北大学)
- J-GLOBAL ID
- 200901069397460060
- researchmap会員ID
- 1000174475
研究分野
1学歴
3-
- 1988年
委員歴
18-
2023年12月 - 2024年11月
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2022年12月 - 2023年11月
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2021年12月 - 2022年11月
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2020年12月 - 2021年11月
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2018年11月 - 2019年12月
論文
29-
『文學論叢』 162輯 77-92 2025年3月 査読有り日本仏教の伝統に根ざすと標榜した末木文美士の「天罰論」「草木成仏論」「冥顕論」を批判・検証した。
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2022年度愛知大学人文社会学研究所主催オンラインシンポジウム報告書『コロナ禍とどのように向き合うか:人文社会学の知見をもとに考える』 75-90頁139-141頁 2024年3月古典文学に描かれる感染症「疫」に着目し、「看病者」がどのような表象として描かれるかを分析した。
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『国文学』 (第61号) 17-35 2022年1月上田秋成編纂の宇荷田春満歌集『春葉集』は何かが食い違っている。春満をあたかも万葉を志向した歌人であるかのように描出しながら、収められたのは堂上風の題詠。巻末に添えられた「創造国学校啓」は「国学」の宣言書として知られるが、春満自書は存在せず、それ以前の同内容の文章に「国学」の用語など無い。にもかかわらず、それは後に平田派「国学」に火を付け、この国を焦土と化すことにも与った。 春満には、臨終に際し著述の類を火中に投じたという伝説がある。ならば『春葉集』は焼け残りの書ということになる。秋成には、天徳内裏焼亡による古典籍喪失とそれ故の典籍不信という持論があり、『春葉集』中でも披露されている。ならば『春葉集』編纂は、火を騒ぐ者が付け火するような行為ではないか。 秋成最晩年の作「海賊」には奇妙で不可解な恋歌への難詰があるが、それは『春葉集』の矛盾を反映してはいまいか。本論文はこれについて考察し論じた。
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『東アジア文化講座(全4冊) はじめに交流ありき 東アジアの文学と異文化交流』 第1巻 75-84 2021年2月 招待有り室町期の遣明使禅僧策彦周良の事跡について研究を行い、井原西鶴の浮世草子『西鶴諸国はなし』中の一篇、「八畳敷の蓮の葉」に描かれるところを比較考察を行った。
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『文學論叢』 第157輯 43-64 2020年2月 査読有り『雨月物語』中の一篇「菊花の約」について、『後漢書』「独行列伝」との関連、復讐の不可能性、「友」の問題、『史記』「刺客列伝」との関連という問題意識から論じた。
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2019年3月 査読有り全307頁(400字詰1190枚相当) 日本近世期における文学受容のあり方として特徴的な「刊行された作品」を対象とし、その読みを通じて、特定の時代背景や限定的な人間関係だけに還元されない、「開かれたテキスト」であることの意義について考察した。
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『文学論叢』 31-42 2019年3月 査読有り『雨月物語』の最終話「貧福論」は、同時代の談義本、経世書に見る設定や発想を映すものであることが従来指摘され、また、秋成の後年にまで及ぶ思想との連関によってその意義が量られてきた。しかし、類話との差異に照らせば、そのような既存の枠だけには収まり切らない虚構性やズレが存することが認められる。本稿は、『貧福論」がそうした虚構性やズレによって黄金と貨幣との臨界を描く物語であることを論じた。
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『国語と国文学』 九五巻(一二号) 21-35 2018年12月 査読有り『雨月物語』中の一篇、「浅茅が宿」において、孤塁を守って絶命した宮木は、「玉と砕ても瓦の全きにはならはじものを」という言葉を語り、「烈婦」として称揚される。これらの表現は『剪燈新話句解』から取られたものだが、典拠における用語、時代背景を検証すれば、それは貞節を守るために女は死ぬべきであるという、儒教的発想の一端が奇形化した時代的思潮を映すものであることが分かる。そのような言葉を剪枝畸人秋成は自覚的に選び取り、外来に汚される以前の日本古代の純粋さ、万葉の乙女の「いにしへの」「をさなき心」に重ねる。この矛盾、倒錯は極めて重い問題をはらんでいる。本稿はそれについて考察し、宮木、手児女、遊女を一様に見なす男の欲望の問題について論じた。
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『文學論叢』 第153輯 1-18 2016年3月 査読有り日本的な美意識としての「無常」についての批判的研究
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『日本文学』 第62巻(10号) 2013年10月 招待有り仕える主家の娘の貞節を守るため、あえて夫婦であることを偽装した老武士は、しかし疑いをかけられ、それを晴らすために自ら左腕を切断するという挙に出る。しかし本篇の挿絵は作中描かれたところとは食い違い、二人の情交をほのめかす際どいものである。真相はどこにあるのか、切り落とされるのはなぜ左腕なのか。「慧可断臂」など我が身を切断する話を通覧し、左腕切断の意図を読み解く。
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『京都語文』 (19号) 59-73 2012年11月 招待有り『源氏物語』「葵」の帖で六条御息所に自身の所行を思い知らせる「芥子の香」は、実はさして特徴のあるものではない。しかしだからこそ、それが我が身にまとわりつくと感じることで、自身の内面のやましいものが何をしでかしたのかを思い知らせる効果を持つ。本稿ではこの「芥子」の効用に鑑み、『雨月物語』中の「蛇性の婬」「仏法僧」二篇を読み解く。前者は男に排除された女の痛みを、後者は聖地に居場所を得た悪霊の自意識を映し出す。
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『日本文学』 第60巻(6号) 12-23 2011年6月 査読有り「夢応の鯉魚」は構想や字句の多くを先行作に借りながら、そのいずれとも異なる絶妙な世界を作り上げている。それは偏に、「絵」を描く「僧」興義の設定に因る。絵画史に照らせば、延長年間に設定されるこの画僧はリアリティを欠く。しかし、これは逆に特定の時制に限定されぬ普遍性に通じ、奇妙な既視感を読者に与える。また、「鮮」を厭う興義の物言いは仏教の原理と相反するものだが、読む側はそれを仏者のものとして疑うことはない。ここには、不浄なる食を忌み、清らかな自己の保全を願う心性が見て取れる。本篇は、かくのごとき心性が希求して止まぬ、清閑の理想郷に遊戯する自己という束の間の夢を、言葉によって結晶化した、いわば究極の絵画とも称すべき作であることを論じた。
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『西鶴と浮世草子研究』 vol.4特集「性愛」 76-92 2010年11月 査読有り本篇は水魚豊かな「内助が淵」における人と魚の交流を描くが、作品成立時の「淵」の実態は河川の流入を断たれて「池」に退縮しており、更にその後は新田開発によって干上がる運命をたどる。また、この水域は氾濫を繰り返し、その治水は流域に住む者にとって長年の悲願でもあった。本篇は牧歌的な魚女房譚であると同時に、そのように恐れられ鎮められるべき運命にあった淀川・大和川両水系の合流点を舞台とするからこそ描かれ得た、愛憎入り交じる「恋の淵」の奇譚であることを論じた。
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『文学・語学』 (188号) 39-49 2007年7月 査読有り上田秋成作『雨月物語』冒頭の一篇、「白峯」で用いられる仏教語「隔生即忘」について、従来の注釈では恨みを忘れて成仏することとして、肯定的に解してきた。しかしその用例を精査すれば、前生の忘却は仏教的には望ましくないことが明らかとなる。「白峯」の用例、そして従来の注釈は明らかに誤読である。しかし問題は誤読自体より、そのことを看過してきた享受史からうかがえる、「和」を無前提に正しいと見なす政治的発想にある。西行の言説が非論理的であるにもかかわらず崇徳院が屈せざるを得ない理由はそこに求められることを論じた。
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『国文学 解釈と鑑賞』 (900号) 158-165 2006年7月 招待有り平賀源内の戯作『風流志道軒伝』において、若き日の深井志道軒として仮構された浅之進の諸国遍歴は、作品を強く印象づけるものでありながら、その異空間体験は浅之進に何ももたらさない。彼はひたすら眺め尽くし通過するだけである。この描き方は作にとって必然であり、また、田沼意次の経済施策の眼目であった「名目貨幣」と、それが実現する「消費経済」のありように通ずることを指摘した。また、浅之進が最終的に「江戸」に回帰することによって、源内にとって憧憬の異空間である「江戸」賛美の心性が示されることを論じた。
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『日本文学』 第53巻(4号) 50-59 2004年4月 査読有り上田秋成作『雨月物語』中の一篇「青頭巾」という作品は、従来教化する快庵と、それに圧倒される院主、そしてそれぞれの担う禅密両宗という二項関係の対照を前提に読まれてきた。しかし、本編のどこにも宗義の差異は問題とされていない。両者は「本源の心」を探求し、言葉の論理を超越した「悟り」を求めることにおいて不可分の関係にあり、そこにこそ作品の核心がある。このことを袴谷憲昭「批判仏教」が提起した「如来蔵思想」批判という問題意識を手懸かりにして明らかにした。
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『宮城工業高等専門学校研究紀要』 (第40号) 97-106 2004年2月宝暦十三年に刊行された平賀源内の小説『風流志道軒伝』と、当時の田沼政権下の貨幣政策との関わりについて論じた。世界を巡り歩く主人公、若き日の深井志道軒として仮構される浅之進の姿には、異能の経済官僚川井久敬が発行した明和五匁銀、南鐐二朱銀という画期的な「名目貨幣」誕生前後の世相が映されていることについて論じた。それは作中で風来仙人が弄する大乗的「空」の発想に通じていること、また、源内のいわゆる「仕官お構い」の問題は、この作品が書かれた当時については過大視されるべきではないことを併せて論じた。
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『日本文芸論稿』 (第25号) 19-31 1998年3月宝暦十三年に刊行された平賀源内の戯作第一作『根南志具佐』について論じた。この作品は、当代人気歌舞伎役者の入水事故というスキャンダルを写し取る際物小説の体裁をとるが、同時に優れて神話的な物語であることを指摘。水虎と二代目瀬川菊之丞との交情、菊之丞の身代わりとなる荻野八重桐、これら三者の関係には、古典世界における重要な節目、「水無月祓」の祝祭性が関わり、江戸庶民が「役者」に求める供犠・形代としての身体性という根源的な問題が読み取れることを論じた。
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『宮城工業高等専門学校研究紀要』 (第32号) 9-15 1996年2月鶴屋南北の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』について、「お岩」の人物造形を軸に論じた。現行の歌舞伎演目としては、伊右衛門に裏切られ、毒薬によって面体を破壊されるお岩の姿は、復讐の怨念にとりつかれた妬婦のありようとして受け止められ、恐怖を掻き立てる異形の存在と見なされる。しかし歌舞伎狂言をひとつのテキストとして丹念に読み解けば、お岩の心底には、実は伊右衛門に対する強い愛着が確実に認められることを論じた。
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『文芸研究』 第141集 13-23 1996年1月 査読有り宝暦十三年に刊行された平賀源内の戯作『根南志具佐』において描かれる、地獄と現世往還の構造、中洲、三股といった「境界」の有り様について論じた。従来源内の戯作執筆動機は、「仕官お構い」の呪縛の元、価値相対的な虚無主義に逃げ込む消極的な行為とみなされていたが、この作品の構造からは、むしろ形而上的な「価値」や「場」を強く志向する精神性が認められることを明らかにした。この考察を通じ、実業面で「国益」を標榜した源内の精神性が戯作執筆にも通底することを論じた。
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『宮城工業高等専門学校研究紀要』 (第30号) 197-208 1994年2月貞享二年に刊行された井原西鶴の浮世草子『西鶴諸国はなし』中の一篇を論じた。水辺の堤上の一軒家における魚女房譚を描いたこの一篇は、その話柄だけではなく、用いている語句・表現そのものによって「水」の流動性や浸透性、堤による分断、池の中の区画としての生け簀のありようを描き出していることを指摘した。作中の「内助が淵」は、水魚ともに豊かな水辺の風景として描かれるが、本作刊行当時には築堤により干上がりつつあり、後には干拓されることになる。そのような経緯も言外に語り示されていることを論じた。
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『日本文芸論稿』 (第20号) 33-41 1992年11月井原西鶴の浮世草子中の一編を取り上げ、多数の人物が同時に怪異を「夢見る」という場面が、一見平易な内容を語っているように見えながら、実はリニアな読みやひとつの解釈を拒む決定不可能な「謎」をはらんでいることを論じた。そこには、時制の混濁や、主格の入れ替わりなど、精神分析に言うところの「夢の文法」に通ずる自覚的な方法が認められる。そのように、西鶴の作法が現代小説にも通じる実験的なものであることについても考察した。
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『文芸研究』 第125集 20-29 1990年9月 査読有り上田秋成の小説第一作である浮世草子『諸道聴耳世間猿』の意義について論じた。井原西鶴以降の浮世草子作品の多くは、俗耳に入りやすいように加工された亜流泡沫作品と位置付けられ、特に「気質物」は、類型しか描けていないと否定的に見なされることが多い。秋成の浮世草子についても同様であり、例えば畢生の作である『雨月物語』に比べて低く見なされることがある。しかし、作品そのものを検証した論はほとんどなかった。本稿ではこれについて再検証し、類型では割り切れない「個性」の苦さ・暗さを剔るその文芸的独自性を明らかにした。
MISC
10-
『文學論叢』 162輯 68-76 2025年3月初期仏典を丹念に読み解くことで従来のブッダ像の再考を迫る画期的な書について評した。
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『日本文学』2017年10月 第66巻(10号) 70-71 2017年10月 招待有り京都移住以降の上田秋成と関わる和学人脈について考察することを通じて、その文業の意義を説き明かすことを試みた著作について評し
書籍等出版物
6-
文学通信 2020年3月近世小説の「開かれたテキスト」しての可能性について、上田秋成、井原西鶴、平賀源内の作を通じて論じた。また、それを踏まえ、一国や一時代の文化や伝統を賛美し、それを規範と見なすような発想に対して批判的考察を加え、自文化中心主義や「国文学」なる学の問題についての検討にも及んだ。
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ぺりかん社 2011年3月(全体概要) 井原西鶴の浮世草子を通して江戸文学・文化の魅力を分かりやすく伝えるために、本文を校訂し、注釈・解説・コラムを付したもの。主に大学一般教養向けの教科書を想定。(担当部分概要) 『万の文反古』巻一の三「百三十里の所を拾匁の無心」の本文校訂・脚注・現代語訳および解説を担当。
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明治書院 2011年3月(全体概要) 高校生・大学生を対象とする日本語表現の実践的教科書。自分の思いや考えを他者に分かりやすく伝える上で必要となる日本語の基礎的事項を学び(基礎編)、さらに実践として経済、環境などのテーマごとに選ばれた文章を味読して評ずる課題(発展編)を用意する。(担当部分概要) 「発展編」第十五章「共生の時代」を担当。「老人問題」について嵐山光三郎の小説『よろしく』、「医療問題」について柳田邦男『言葉の力、生きる力』を取り上げ、読解の手引きとしての解説、設問、参考文献を執筆した。
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三弥井書店 2009年3月(全体概要) 井原西鶴の浮世草子『西鶴諸国はなし』の魅力を初学者に分かりやすく伝えるために、本文を校訂し、注釈・鑑賞の手引きを付したもの。主に大学一般教養向けの教科書を想定。(担当部分概要) 巻四の七「鯉のちらし紋」の本文校訂・注釈および鑑賞の手引きを執筆。鑑賞の手引きでは、これまでの研究では取り上げられることのなかった「内助が淵」の地誌について取り上げ、この一篇を成り立たせている「説話的創造力」について解説した。
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鼎書房 2003年3月(全体概要) 工業・ものづくりに関わる文章を集め、解説・手引きを付した大学・高専教養科目向けの教科書。ものづくりの現場としての企業・工場にまつわる文章、技術の進展にかかわる経験談、工業の弊害としての公害問題など、多岐にわたる作品を扱う。(担当部分概要) 小関智弘『大森界隈職人往来』について解題・解説した。「旋盤工作家」として知られる小関の文章の基底にある、ものづくる行為自体から生まれる感動と快感について解説した
講演・口頭発表等
11-
2024年度愛知大学 人文社会研究所シンポジウム「紙の時代の学術」2025年2月15日 2025年3月査読無 仏教の「法(ダンマ)」伝達に関わる「僧(サンガ)」の意義と、それと対照的な大乗経典のあり方についてシンポジウム報告、討論を行った。
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2024年12月教科書で取り上げられる『源氏物語』の「名場面」を通じて作品を読むとはどういうことか考察する講演を行った。
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温故学会塙保己一生誕第277年記念大会 2023年5月査読無 塙保己一と上田秋成の業績について、賀茂真淵門下国学者としてのそれぞれの特質に鑑みて比較・検討を行った。
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愛知大学人文社会学研究所シンポジウム「コロナ禍とどのように向き合うか:人文社会学の知見をもとに考える」 2022年10月査読無 古典文学に描かれる感染症「疫」に着目し、「看病者」がどのような表象として描かれるかを分析した。