研究者業績

石田 卓生

イシダ タクオ  (Takuo ISHIDA)

基本情報

所属
愛知大学 東亜同文書院大学記念センター 研究員
豊橋創造大学 非常勤講師
豊橋技術科学大学 非常勤講師
学位
博士(中国研究)(2009年3月 愛知大学)
中国研究修士(2000年3月 愛知大学)

J-GLOBAL ID
200901087710409338
researchmap会員ID
1000370471

学歴

 4

論文

 24
  • 石田卓生
    中国研究月報 76(4) 1-16 2022年4月  査読有り
  • 石田 卓生
    中国研究月報 72(2) 21-37 2018年2月  査読有り
    本稿は、戦前の上海にあった東亜同文書院の中国語教育の実態を明らかにしようとするものである。<br /> 東亜同文書院では、専用の中国語テキスト『華語萃編』(初集—四集)が使われていた。<br /> 本稿は、新入生が中国語を学ぶという重要な役割を担っていた『華語萃編』初集について、六つの版本を確定し、それらを相関分析とクラスタ分析によって比較した。<br /> その結果、専門学校期では実用重視の会話テキストだったものが、大学昇格後は読本的性格もあわせもつ総合テキストに改訂されていたことがわかった。これは、東亜同文書院が、当時日本の大学では正式な学問とみなされていなかった中国語を、大学として教育しようと試みていたことを示すものである。
  • 石田 卓生
    現代中国 (90) 51-64 2016年9月  査読有り
    本稿は、日清貿易研究所(1890-1893)の教育活動の実態を明らかにするものである。日清貿易研究所は参謀将校荒尾精(1859-1896)によって上海に設立された学校である。卒業生が日清戦争(1894-1895)に通訳従軍したり、情報活動に従事したりしたことから、日本の中国進出の先駆と位置づける先行研究もある。本稿は、研究所学生高橋正二(1870-1936)の手記を分析することによって、研究所の実際の教育内容を考察した。研究所は軍事的な情報活動機関ではなく、中国を専門とするビジネススクールであり、学生もビジネススキル修得を目的に入学していたのである。以上のことから日中貿易専門家養成は後の東亜同文書院の活動の原型であったといえる。
  • 石田 卓生
    同文書院記念報 (25別冊①) 37-41 2016年9月  招待有り
  • 石田 卓生
    同文書院記念報 24(24) 119-142 2016年3月  
    本稿は戦前上海にあった高等教育機関東亜同文書院(1901‐1945)でおこなわれていた中国語の文章語教育を考察するものである。東亜同文書院では中国ビジネスの専門家を養成するためにテキスト『華語萃編』に代表される話しことば教育だけでなく、実務で必須となる文章語教育も重視されていた。当初は外国語というよりも漢文学習といってよいものだったが、次第に中国語の文章語を外国語としてとらえて学習するものへと変化していた。こうした変化が卒業生教員を中心とする東亜同文書院内の中国語教育活動での教学経験によって自律的におこなわれていたことは、この学校の中国語教育の独自性をしめすものである。なお本稿は科研費基盤研究(C)の成果物である。
  • 石田 卓生
    同文書院記念報 21(21) 121-132 2013年3月  
    本稿は、東亜同文書院で最初に使用された中国語テキスト御幡雅文『華語跬歩』について版本研究を行うものである。『華語跬歩』はもともと荒尾精の日清貿易研究所専用テキストとして初級用の上巻と上級用の下巻が刊行された。下巻については原書が伝わっており、その書き込みから、日清貿易研究所閉鎖後も荒尾精の私塾で白岩龍平(研究所卒業生、後日清汽船経営、東亜同文会理事長)を教師とする授業で本書が使われていた。また開校直後の東亜同文書院が使用したのは上巻部分のみを流用した版本であることも明らかにした。さらに本書副本『華語跬歩音集』の存在を新に確認し、本書の版本を確定した。なお本稿は科研費奨励研究の成果物である。
  • 石田 卓生
    愛知大学東亜同文書院大学記念センター/オープン・リサーチ・センター年報 (4) 215-239 2010年6月  
    本稿は、東亜同文書院の中国語教育について、そのカリキュラム、テキスト、教授法、学内の中国語研究など総合的に考察したものである。東亜同文書院は上海という立地にあった教授したのは在地の人々が使っていない北京語であった。教授法は日中教員がペアとなる授業が行われたが、一クラス50人程の多人数教育であり、発音については学生の自習に負う部分が大きいなど問題もあった。それでも成果を上げたのは、学生だけで中国をフィールドワークする「大旅行」という具体的な目標が設定されていたからである。さらに教員の中国語研究が深化するにつれて、戦前の日本では配慮されることが少なかった中国語の文法についての授業も実施されるなど教育の進展が見られたが、戦争の激化によって退潮し、敗戦による閉校によって頓挫した。
  • 石田 卓生
    中国21 32(32) 157-174 2009年12月  査読有り
    本稿は、東亜同文書院独自のテキスト『華語萃編』が作成されるに至る学内の中国語教育について考察したものである。これまで東亜同文書院では最初に御幡雅文『華語跬歩』が使用され、次いで教員共著『華語萃編』が用いられたとされてきた。しかし実際には、『華語萃編』以前にも、新資料高橋正二『北京官話声音譜』や小路真平、茂木一郎『北京官話常言用例』が作られていたことを確認した。『北京官話声音譜』が示す音節と『華語萃編』初集のそれは相似していることなどから、東亜同文書院内のさまざまな中国語教育の取り組みを基盤として、その集大成として『華語萃編』が成立していることを明らかにした。
  • 石田 卓生
    中国東北文化研究の広場 (2) 83-101 2009年3月  査読有り
    本稿は、「満州国」で中国文学作品の翻訳者として活動した大内隆雄について、これまで詳らかではなかった東亜同文書院在学時代の活動を明らかにすることによって、彼の文学方面での活動の思想的原点を考察するものである。東亜同文書院在学中、彼は田漢、郁達夫など創造社同人との交流を通して左翼的文学観を培う一方で東亜同文書院創立者根津一の顕彰会に所属していた。根津は儒教的道徳教育を重視しつつ、中国側の協力も得て学校を運営していた経験から、日中関係を友好的な日中交流を前提としていた。大内が翻訳によって、中国を日本人に紹介し日中関係を前進させていこうとしたことについては理想主義的と批判されるが、しかし大内は「満洲国」にあっても、根津の考えを基盤として文学活動を展開したのであり、東亜同文書院での経験が彼の文学面での活動の方向性を決めていたと考えられるのである。
  • 石田 卓生
    愛知大学 2009年3月  査読有り
    本研究は、戦前上海におかれていた日本の高等教育機関である東亜同文書院について、その創立から日中関係が最悪化した日中戦争までの期間における諸活動の実態と、そこに学んだ学生や卒業生たちの行動の具体的状況を明らかにすることによって、同校の教育の実態を考察しようとするものである。東亜同文書院に対して現在も通用する侵略についての断罪的解釈といった先験的な価値判断からはなれ、実事求是につとめて東亜同文書院の教育活動の特徴とその発展、展開或いは変化、変質の経緯を明らかにした。
  • 石田 卓生
    中国研究月報 63(2) 17-33 2009年2月  査読有り
    本論は,日本の対中国文化事業団体東亜同文会と同会が中国に設立した学校東亜同文書院が,日本と中国が軍事的に衝突する状況に対して,どのような対応をしたのかを考察したものである。第二次上海事変で東亜同文書院が焼失した際に模索された北京移転構想の顛末からは,東亜同文会が日本の対中国文化政策を積極的に担おうとしていたこと,同時に検討されていた交通大学借用による東亜同文書院の上海復帰案も日本軍の上海占領と密接に結びついていたことがあきらかとなった。東亜同文会と東亜同文書院は,日本が中国侵略をすすめる状況を利用しつつ,その活動を維持或いは能動的に発展させていこうとしていたのである。
  • 石田 卓生
    愛知大学東亜同文書院大学記念センター/オープン・リサーチ・センター年報 (2) 263-278 2008年3月  
    孫文の革命活動に協力した山田良政の事績がどのように受容されてきたのかを考察した。山田は東亜同文書院開校時の教員である。彼は孫文の1901年恵州蜂起に参加し「戦死」したとされているが、実際には蜂起自体に参加したかどうかもわかない行方不明でしかない。当時はさほど有名な事件でもなかったが、孫文の訪日と日中関係が悪化する度に尾ひれをつけて紹介された。それは孫文側にしれみれば日本支援を引き出すための材料として機能し、日本側にとっては悪化した日中関係にあって日中友好のシンボルとなる役割を担わせるものであった。
  • 石田 卓生
    中国21 (28) 193-213 2007年12月  査読有り
    本稿は東亜同文書院出身教員でキリスト教徒である坂本義孝の活動を追いながら、キリスト教的な考え方がこの学校の中でどのような変遷をたどったのかを明らかにした。東亜同文書院は、アジア主義という言葉に括られたりするなど国粋的なイメージがあるが、実際にはキリスト教の活動も認められていた。内村鑑三が陽明学とキリスト教の相似点を指摘しているが、戦前においてはキリスト教的な倫理観が知識人を中心に日本にも受け入れられていたのである。坂本は1期生として卒業後、中国の税関勤務をへてアメリカに留学し博士号も取得した国際派である。彼は中華学生部部長として日本人だけでなく中国人教育にも携わり、両国交流に尽くしたが、日本の中国侵略の前にその教育活動は理想主義的なものとならざるをえなかった。
  • 石田 卓生
    中国東北文化研究の広場 (1) 15-21 2007年6月  査読有り
    「満洲国」文学の「芸文志派」と呼ばれる文学者グループと日本が文化統制のために設けた満日文化協会の関係を資料に基づいて明らかにした。芸文志派は、日本の統制が強くなると却って自らの活動を活発化させたが、これは満日文化協会からの資金に基づくものであった。日本の支配によって専業作家の大変は関内に逃亡した中で、日本は文化面での活動に着目し、古丁など「満洲国」官僚や実業家たちによるアマチュア文芸同人グループをその代わりにあてようとしたのである。
  • 石田 卓生
    中国研究月報 61(6) 26-34 2007年6月  査読有り
    満洲国文学を代表する文学者である大内隆雄の活動は,『満洲評論』同人として主に政治経済方面の翻訳,評論をした満鉄社員時期と文学方面の翻訳にとりくんだ満洲国時期に時期区分することができる。この二つの時期をわける出来事として,左翼思想に関連して検挙されたことが伝えられてきたが,それは史料によって裏付けされたものではなく,具体的な事情は不明であった。本稿は,外務省外交史料館に保管される文書によって,これまで知られてこなかった大内の複数回の検挙歴,検挙後に満鉄を退社し大連を離れた事情や,従来友人とのみ紹介されてきた朱其華との密接な関係などをあきらかにする。
  • 石田 卓生
    植民地文化研究 (6) 63-70 2007年6月  査読有り
    「満洲国」を代表する中国人作家古丁について、これまで詳細が不明であった「満洲国」官僚としての姿を明らかにした。彼自身は「満洲国」の役人として大きな職責にはなかったと述べているが、実際には国務院総務庁統計局の官僚であった。「満洲国」政府は総務庁を中心に構成されており、彼は「満洲国」の中枢にいたのである。さらに日本の内閣統計局へ研修に派遣されるなどして出世していくなど、中国人官僚として日本側から見ても優秀な人物であったのである。
  • 石田 卓生
    愛知大学東亜同文書院大学記念センター/オープン・リサーチ・センター年報 (1) 93-108-108 2007年3月  
    上海にあった東亜同文書院の創立について、これがどのような日中関係の中で行われたのを明らかにした。東亜同文会の中国での学校事業は両江総督劉坤一の協力のもと東亜同文会幹事長退役陸軍少将佐藤正が一般的な教養教育を目指して準備を進め、南京に南京同文書院が開設された。その途中で佐藤に換わって根津一が幹事長兼院長となったことから学校の性格が大きく変化した。根津は上海の日清貿易研究所の幹部であった経歴がある人物で、東亜同文会でもこの研究所と同様の活動を行おうとしたのである。同文書院は南京から上海に移転し、内容も完全なビジネススクールとなった。
  • 石田 卓生
    愛知論叢 (77) 1-14 2004年10月  
  • 石田 卓生
    中国文芸研究会会報 (249・250・251合併号) 55-63 2002年9月  査読有り
    本稿は「満洲国」の中国文学の翻訳者大内隆雄について愛知大学所蔵資料を調査した結果を報告するものである。『満洲評論』編集者、中国文学翻訳者として著名な大内隆雄が東亜同文書院の出身であることは知られていたものの伝聞の域を出るものではなかった。このことについて、愛知大学が所蔵する東亜同文書院学籍簿を調査し、福岡柳川士族出身であることや中学校で東北地方に渡り、満鉄派遣生として東亜同文書院に入学していたことなど、これまで不明であった伝記的事実を明らかにした。
  • 石田 卓生
    中国文芸研究会会報 (244) 5-10 2002年2月  査読有り
    「満州国」を中心に使われていたという「協和語」という用語について考察した。「協和語」とは日本語と中国語が混濁したピジンとされているが、中国側では中国語の中に日本語語彙が混じるもの、日本側では簡略化した日本語あるいは日本語の中に中国語彙が混じるものとそれぞれ異なった形で紹介される。ヨーロッパ諸国の植民地のピジンは、宗主国の圧倒的な文化的優位の影響から宗主国言語をベースにしたものであるが、二つの顔をもつ「協和語」はそれに当たらない。さらにピジンよりも定着した形態であるクレオールとは明らかに異なる。旧満州はたしかに植民地に近い状態であったが、文化的に考えれば中国がヨーロッパの植民地のように日本文化に圧倒されたことはなく、ピジンや合成語としての「協和語」は存在していなかった。「協和語」は日本からは満洲の日本化、中国からは日本侵略をあらわすシンボルとしての用語に過ぎない。
  • 石田 卓生
    愛知論叢 (67) 21-37 1999年9月  
    民国から「満州国」時期の中国東北地方の文学の位置づけを考察した。中国の現代文学の中心は五四運動の北京、創造社や左翼作家連盟の上海であり、日本との戦争によって大後方である重慶に一時移動を余儀なくされというのが一般的な捉え方である。研究が進むにつれて、日本勢力下での文学を淪陥区文学と称するようになったが、これは蔑称でしかなかった。本稿では、東北地方の文学が北京や上海から移動してきた人々によってはじまり、後に古丁といった地元出身者が魯迅を多分に意識して自身の文学活動を進めていたことに着目して、「満洲国」期には大後方とは異なる東北地方独自の文学活動を自律的に確立しようとしていた可能性を明らかにした。

MISC

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書籍等出版物

 11
  • 今泉潤太郎, 石田卓生 (担当:共著)
    不二出版 2023年3月 (ISBN: 9784835087504)
    20世紀初頭に日中の交流促進を期して上海に設立された東亜同文書院で作成された初学者用の中国語教科書『華語萃編』初集の愛知大学改訂版を翻刻し、中国語の発音表記と日本語訳、注釈を附して新たに刊行したものである。戦前期の中国語教育と当時の生活文化を伝える貴重な資料である。
  • 三好章, 野口武, 石田卓生, 李彬 暁敏, 長谷川怜, 広中一成 (担当:分担執筆, 範囲:第3章 『調査報告書』など東亜同文書院関係資料の所蔵状況)
    あるむ 2022年3月31日 (ISBN: 9784863331822)
  • 林 発梅, 黄 英哲
    風媒社 2021年3月 (ISBN: 9784833105897)
  • 藤田佳久, ポール・シンクレア, 石田卓生, 許雪姫, 小川悟 (担当:分担執筆, 範囲:「第2章 日清貿易研究所・東亜同文書院の教育と卒業生の軌跡:高橋正二・坂本義孝・大内隆雄を事例として」、許雪姫「第3章 東亜同文書院の台湾籍学生たち:陳新座、彭盛木、王康緒を事例として」(翻訳))
    あるむ 2020年6月 (ISBN: 9784863331624)
  • 石田, 卓生
    不二出版 2019年3月 (ISBN: 9784835082752)

講演・口頭発表等

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  • 石田卓生
    東亜同文書院中国調査報告書の中国語翻訳と大調査旅行の展開 2025年10月4日 愛知大学国際中国学研究センター  招待有り
  • 石田卓生
    三河民俗談話会 第391回 2023年12月23日 三河民俗談話会  招待有り
  • 石田 卓生
    愛知大学東亜同文書院大学記念センター設立30周年記念講演会 愛知大学と東亜同文書院大学編纂中国語教科書『華語萃編』初集 2023年7月29日 愛知大学東亜同文書院大学記念センター
    戦前、上海にあった東亜同文書院大学では独自の中国語教科書『華語萃編』(かごすいへん)が作られ中国語教育で大きな成果をあげていました。東亜同文書院大学は敗戦によって閉学することを余儀なくされましたが、その『華語萃編』による中国語教育は後身校である愛知大学に受けつがれ、さらに愛知大学が誇る『中日大辞典』編纂の原動力となりました。 今回は、東亜同文書院大学と愛知大学の学生たちが学んだ『華語萃編』がどのような教科書だったのか、それによってどのように教育が行われていたのかを紹介します。
  • 石田卓生
    東亜同文書院「大旅行」と現代東アジア 2023年3月11日 愛知大学国際問題研究所 愛知大学東亜同文書院大学記念センター  招待有り
  • 石田 卓生
    2022年度豊橋市民大学トラム愛知大学オープンカレッジ「愛知大学のドラマチックな誕生物語と創設期の卒業生たち」 2022年12月17日 豊橋市教育委員会 愛知大学  招待有り
    東亜同文書院はビジネススクールとして中国語は必須であり、中国語教育は大きな目標であった。そのベースには中日辞典づくりが不可欠な事業となり『華日辞典』の編纂が開始され、多くの語彙カードが作成されたが、敗戦で中止され、それを戦後返還されることで愛知大学で簡体字も含め新編纂され、13年を費やして『中日大辞典』が完成した。その経緯と、それにともなう中国語教育の展開を紹介する。

担当経験のある科目(授業)

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共同研究・競争的資金等の研究課題

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メディア報道

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  • 東海日日新聞社 東日新聞 第10面 2022年6月28日 新聞・雑誌
    愛知大学の「中日大辞典」の出版では、チャリティーの手法も用いられた。日中友好を目指して中国に贈呈する分の予約購入を広く募ったのだ。 1968(昭和43)年、「中日大辞典」が出版された。日本では大好評であったが、中国での反応はすぐにはわから...
  • 東海日日新聞社 東日新聞 第10面 2022年6月21日 新聞・雑誌
    戦前、上海にあった東亜同文書院大学は、当時の日本にはなかった本格的な中国語辞典を編纂(へんさん)していたが、戦争によって未完に終わった。 敗戦時の書院学長・本間喜一は、戦後、愛知大学を開校させると、1955(昭和30)年、書院の中国語辞典...
  • 東海日日新聞社 東日新聞 2022年6月14日 新聞・雑誌
    1955(昭和30)年、愛知大学は中国語辞典の編纂(へんさん)を始めた。 この取り組みは国際的な注目を集め、中国やアメリカの学者がたびたび視察にやって来た。彼らの評価は高く、56(昭和31)年には中国から辞典編纂資料が寄贈され、57(昭和...
  • 東海日日新聞社 東日新聞 第10面 社会 2022年6月7日 新聞・雑誌
  • 東海日日新聞社 東日新聞 第10面 社会 2022年5月31日 新聞・雑誌

その他

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  • 2019年6月 - 2019年6月
    2019年6月8日愛知大学名古屋キャンパス 開会挨拶 池田維(霞山会理事長 元外務省アジア局長) 開会挨拶 川井伸一(愛知大学学長) 特別講演 「日中関係―理想と現実」 松本盛雄(霞山会評議員 元駐瀋陽総領事) 報告 ・「1910年代におけるアジア主義の諸相―日本・孫文・李大釗」 嵯峨隆(静岡県立大学名誉教授) ・「米内山庸夫の中国論―汪兆銘政権反対に至る道」 栗田尚弥(國學院大學講師) ・「荒尾精と日清貿易研究所」 藤田佳久(愛知大学名誉教授) ・「戦前中国調査における東亜同文書院」 三好章(愛知大学現代中国学部教授 東亜同文書院大学記念センター長) 総括 伊豆見元(霞山会評議員 愛知大学理事評議員 東京国際大学国際戦略研究所教授) 閉会挨拶 星博人(霞山会常任理事) 司会 石田卓生